SSブログ

祖父 [近況]

昨日30日の営業後、「永遠の0」を見に行きました。



以前にお店のお客様から原作本の良さを教えてもらっていたので

読みたいな、と思っていた所に映画化。




しかも佐賀に帰ってきた後、

一度、鹿児島・知覧の平和記念館を訪れてみたいと

何となく思っていたのも映画館へ足を運ぶ1つのきっかけでした。




本当は原作を読んで映画を見るんでしょうが

逆もたまにはいいでしょう。



ということで大和イオンシネマへ。



多いのかと思いきや、いやでも、

佐賀ではこれでも混んでる方なんでしょう。




内容はご覧いただければ・・・ということですが

僕は本編を見ながら、

ふと祖父の事を思い出していました。




僕が中学3年の時だったと記憶してますが

祖父は74歳の時に亡くなりました。



脳の病気でした。



僕が物心ついた時から記憶しているのは

お酒を飲む事もなく、口数が少なく、

穏やかで僕にはとても優しかった事。




黙々と作業机で仕事をして、

時々キセル(先端にたばこの葉を詰めて吸う長いパイプ)で

煙草を美味しそうにたしなんでいました。





亡くなる少し前だったと思いますが

僕が朝起きた時にふと見た、

座敷に一人でポツンと座っている祖父の後姿が

とても寂しそうだったのが今でも強烈に思い出されます。





そんな祖父は事あるごとに僕に戦争の話をしていました。

小学校だった当時はそんな話はつまらないもので、

「もういいよ~」なんて煙たがっていました。




でもそんな感じで聞いていても記憶しているのです。




当時ビルマと読んでいた、現在のミャンマーに戦争に行っていた事。

それを祖父は「ビルマ戦線」と言っていた。





そこで何度も死にかけた事。

隣にいた人が打たれて死んで、自分が助かった事。

死にかけた時に、ある軍医さんに助けられた事。

引き揚げた後、数年間全く仕事も出来ないほど体調を崩した事。

その後、細々と仕事を再開したものの食べるのがやっとで貧乏だった事。





そしてこの僕の名前は・・・・・

命を助けてくれた、その軍医さんの名前から頂いたという事。

その軍医さんはとても優秀だったとも言っていました。

尊敬していたんでしょう。

ずっと。





それと良くは覚えていませんが

「ルーツ」という上下巻の本も大切にしていました。



黒人奴隷の物語りで、

直接日本の戦争に関係ないのかもしれませんが

思うところあったのだろう。





そんな事が頭をよぎりながら見ていました。





そんな祖父が生き残って、帰還して、仕事を続けてきたこのお店。

それがあるから、今がある。

生き残ったから、今がある。





そういう事を改めて思い出させてくれた映画でした。




あの時代の若者の純粋な精神を忘れることなく

来年も再来年も、そのまた来年も・・・ずっと

仕事に、私生活に、取り組まないとね・・・・。




バチが当たる。




ちょっとしんみりしましたが、

2013年もご来店頂いた、たくさんのお客様に

励まされ、助けられた1年でした。

本当に感謝します。ありがとうございます。




ではこのブログを読んで頂いた

皆様、お客様、の2014年が

幸多き1年となりますように願っています。



どうぞ来年も宜しくお願い致します。






んズカーン。
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

モンステラ10年 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。